東林 雪象 とうりん せつぞう
   

彌陀長劫代群蒙
果徳圓成六衆中
三信全從他力獲
一稀不恃已身功
樂邦栖處年々近
苦域行桎日々空
既是光明攝取了
更無疑惑済西東
信心詩
弥陀(阿弥陀如来)長劫(長い年月を経て)群豪(道理をわきまえず、愚かな多くの人)に代わる
果徳(修行の結果得られる、果としての徳)を圓成(仏心・仏性を円満に成就)す六衆(南都六宗)の中
三信(浄土往生を願う純一無雑な三種に分類した信心)全て従う他力(阿弥陀仏の本願の力)の獲(信頼)
一稀(物事の始まり・数のいち・最もすぐれたもの)恃(たよ)らず已に身は功たり
楽邦(極楽)の栖処(すみか) 年々近し
苦(苦しみや悩み)域 行桎(足かせ) 日々空し
既に是れ光明(菩薩の心身から発する光) 攝取(仏が、その慈悲によって人々を受け入れ、救済する)を了(さと)る
更に疑惑無し 西東(東西)に済(わた)る
南都六宗
奈良時代、奈良の地で興隆し、以後も行なわれた仏教の宗派。三論・成実・倶舎・法相・華厳・律の六宗。この六宗は仏教哲学の研究団体であり、後世の宗派と異なり、一つの寺院の中にいくつもの宗(衆)があり、兼学も行なわれた。興福寺は法相に、東大寺は華厳に、唐招提寺は律に重きをおくという違いがあった。奈良六宗。〈出典 精選版 日本国語大辞典〉
162x46cm

天明6年(1786)生〜天保12年9月22日(1841年9月22日)歿
 江戸時代の僧・漢詩人。諱は雪象,字は公鮮または善調伏。東林は号。如須弥斎・雲谷・公谷などの号もある。高岡市石堤の長光寺17世。若いころ,江戸の漢詩人大窪詩仏の弟子となる。高岡に漢詩吟社を開き,漢詩壇の中心として長崎浩斎らとともに詩会を催したりした。のちに上京し,本願寺の御使僧として全国に遊ぶ。詩集には『清浄閣詩鈔』『如須弥斎百絶』『如須弥斎詩鈔』などがあり,紀行文として『泛登無隠』がある。享年56歳。〈大西紀夫〉
(「富山大百科事典[電子版]」平成29年6月1日アクセス)

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一行書文化遺産オンライン (nii.ac.jp)
2019_kanzou_list.pdf (e-tmm.info)


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